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まつもと泉の現在は?『きまぐれオレンジ☆ロード』作者の功績と闘病の軌跡

投稿日:2016年12月20日 更新日:

1980年代の週刊少年ジャンプに、バトル漫画とは一線を画すポップで洗練されたラブコメディを持ち込み、漫画史に名を刻んだ漫画家・まつもと泉先生。
代表作『きまぐれオレンジ☆ロード』は累計2000万部を突破し、TVアニメ・劇場版・OVAと幅広くメディアミックスされた大ヒット作品です。

しかし、その華々しいキャリアの裏では、3歳のときの交通事故に端を発する脳脊髄液減少症との長い闘いがありました。
さらに心房細動、脊柱管狭窄症と複数の病を抱え、描きたくても描けない日々が続いた末、2020年10月6日、61歳でこの世を去りました。

この記事では、まつもと泉先生のプロフィールから代表作品の魅力、壮絶な闘病の軌跡、そして漫画界に遺した大きな功績までを詳しくまとめています。
ロックドラマー志望から漫画家へという異色の経歴、3歳の交通事故に端を発する運命、そしてジャンプのラブコメ革命家としての功績を、一つの物語として振り返ります。

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まつもと泉のプロフィール

項目内容
名前まつもと泉(本名:寺嶋一弥)
生年月日1958年10月13日
没年月日2020年10月6日(享年61歳)
出身地富山県高岡市
血液型A型
学歴富山県立高岡工芸高等学校卒業
デビュー年1982年
デビュー作『ミルク☆レポート』
受賞歴フレッシュジャンプ賞佳作

まつもと泉先生は、もともとロックドラマーを志して上京した異色の経歴の持ち主です。
しかし楽譜が読めないという壁にぶつかり、音楽の道を断念。
その後デザイン専門学校に進み、デザインを学ぶ中で漫画への情熱に目覚めました。

1982年、読み切り作品『ミルク☆レポート』でフレッシュジャンプ賞佳作を受賞し、漫画家としてのキャリアをスタートさせます。
デビューからわずか2年後の1984年には、週刊少年ジャンプで『きまぐれオレンジ☆ロード』の連載を開始。
異例のスピードで週刊連載の座を勝ち取りました。

「まつもと泉」というペンネームは、高校時代の友人との共作で使っていた名義に由来するとされています。
ミュージシャン志望から漫画家への転身という、一風変わったキャリアパスが、後に作品の中に息づく音楽的センスやポップな画風につながっていったのかもしれません。
鮎川まどかがサックスを吹くシーンに代表されるように、作品全体に音楽への愛情が散りばめられていたのも、先生自身の音楽体験あってこそでしょう。

出身地の富山県高岡市は、『ドラえもん』の藤子・F・不二雄先生も輩出した漫画家のゆかりの地です。
同じ北陸の地から、ジャンルこそ違えど国民的作品を生み出した漫画家が誕生しているという事実は、高岡市が持つ文化的な土壌の豊かさを感じさせます。

 

まつもと泉の逝去と追悼

2020年10月6日、まつもと泉先生は入院先の病院にて逝去されました。
睡眠中に安らかに旅立ったと報じられています。
享年61歳でした。

訃報を受け、漫画界やアニメ業界から多くの追悼の声が寄せられました。

『きまぐれオレンジ☆ロード』で主人公・春日恭介を演じた声優の古谷徹さんは追悼コメントを発表。
作品を通じて生まれた絆の深さがうかがえる、心のこもったメッセージでした。
長年にわたる闘病を知る関係者からは、先生の粘り強さと作品への情熱を称える言葉が多く聞かれました。

また、担当医であった脳脊髄液減少症の専門医・高橋浩一医師も追悼の意を表しました。
高橋医師は、まつもと泉先生がNHKの番組に出演するなどして脳脊髄液減少症の啓発に尽力したことを高く評価。
「漫画家としてだけでなく、病気の啓発者として多くの患者を救った」という趣旨のコメントは、先生のもう一つの功績を象徴する言葉です。

漫画家のこにししのぶ先生をはじめ、多くのクリエイターも追悼のメッセージを発信しました。
同業者からの追悼が相次いだことは、まつもと泉先生が漫画界に遺した影響の大きさを物語っています。

ファンからは「初恋の人は鮎川まどかでした」「ジャンプ史上最高のヒロインを生み出してくれた先生に感謝」といった声がSNS上にあふれました。
世代を超えて愛された作品の力を、あらためて感じさせるものでした。
80年代にリアルタイムで読んでいた世代だけでなく、後年アニメやコミックスで触れた若い世代からも惜しむ声が上がっていたことが印象的です。

 

脳脊髄液減少症との壮絶な闘い

まつもと泉先生の人生は、幼少期の事故に始まる病との長い闘いの歴史でもありました。
ここでは、その壮絶な軌跡を時系列で振り返ります。

 

3歳のひき逃げ事故:すべての始まり

まつもと泉先生の闘病は、わずか3歳のときに遡ります。
信号機のない横断歩道で車にはねられるというひき逃げ事故に遭い、右側頭部を強打。
この事故の後遺症として右耳が難聴になったとされています。

当時はまだ「脳脊髄液減少症」という疾患概念が医学界に存在しておらず、頭部への強い衝撃がのちに何十年にもわたる苦しみの原因になるとは、誰も想像できませんでした。
外傷性の脳脊髄液漏出が慢性的な症状を引き起こすことは、2000年代に入ってようやく広く認知されるようになったもので、まつもと泉先生が幼少期を過ごした時代には診断すら不可能だったのです。
この幼少期の事故が、漫画家人生に暗い影を落とすことになります。

 

原因不明の体調不良(1986年〜2004年)

『きまぐれオレンジ☆ロード』の連載中だった1986年頃から、まつもと泉先生は原因不明の体調不良に悩まされるようになりました。
頭痛やめまい、倦怠感といった症状が続き、漫画制作にも支障をきたすようになっていきます。

1999年頃には不定愁訴(明確な原因が特定できない様々な体の不調)が深刻化。
それから約5年間、数多くの病院を巡っても原因はわからず、次第に引きこもり状態に陥ってしまいました。
「怠けているだけ」と周囲から理解されない苦しみもあったとされています。

描きたい作品がありながら体が言うことを聞かない。
クリエイターにとってこれほどつらいことはありません。
この時期に青年誌で連載していた『せさみ☆すとりーと』も未完に終わっており、先生がどれほど悔しい思いをされていたか、想像に難くありません。

 

病名判明と治療(2004年〜)

転機が訪れたのは2004年のこと。
まつもと泉先生のお姉さんが新聞で脳脊髄液減少症に関する記事を見つけ、「これではないか」と知らせてくれたのがきっかけでした。

脳脊髄液減少症とは、何らかの原因で脳と脊髄を覆う髄液が漏れ出してしまい、頭痛・めまい・倦怠感・集中力低下など多彩な症状を引き起こす病気です。
交通事故や転倒などの外的衝撃が原因になることが多く、まつもと泉先生の場合は3歳のひき逃げ事故が発端だったと考えられています。

診断を受けた先生はブラッドパッチ治療(自身の血液を髄液が漏れている部分に注入し、漏れを塞ぐ治療法)を受け、症状が改善。
約20年にわたって原因不明とされてきた苦しみに、ようやく名前がつき、適切な治療を受けられるようになったのです。

病名が判明した後、まつもと泉先生はNHKの番組にも出演し、脳脊髄液減少症の啓発活動にも力を注ぎました。
「自分と同じように苦しんでいる人を一人でも減らしたい」という思いから、自身の闘病体験を積極的にメディアで語りました。
この活動は、脳脊髄液減少症がまだ広く知られていなかった当時、同じ病気に苦しむ多くの患者にとって大きな希望となりました。

 

再発と三重苦(2015年〜2020年)

一度は回復の兆しを見せた先生でしたが、2015年以降、新たな試練が次々と襲いかかります。

2015年4月心房細動(不整脈の一種)が判明し、心臓の手術を受けることになりました。

さらに2016年4月、駅で男性とぶつかり頭部を強打
この衝撃がきっかけで、一度は治療によって改善していた脳脊髄液減少症が再発してしまいます。

2018年10月、1年1か月ぶりにブログを更新し、活動再開の意欲を見せましたが、2019年11月には脊柱管狭窄症(背骨の中の神経の通り道が狭くなり、痛みやしびれが生じる病気)も報告されました。

晩年のまつもと泉先生は、脳脊髄液減少症・心房細動・脊柱管狭窄症という3つの病気を同時に抱える「三重苦」の状態にありました。
それでもなお、創作への意欲を失わなかったことは、先生の強い精神力と漫画への深い愛情を物語っています。

2018年10月のブログ更新では、ファンに向けて活動再開への意欲を語り、前向きな姿勢を見せていました。
しかし、複数の疾患が複雑に絡み合う中で、十分な回復には至りませんでした。

そして2020年10月6日、入院先の病院で静かに息を引き取りました。
3歳の事故から約58年。
まつもと泉先生の人生は、まさに病との闘いに貫かれた生涯でした。

 

まつもと泉の作品一覧

きまぐれオレンジ☆ロード(1984年〜1987年)

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項目内容
連載誌週刊少年ジャンプ
連載期間1984年〜1987年
巻数全18巻
累計発行部数2000万部以上
TVアニメ1987年放送、全48話
OVA全8作
劇場版3作品

まつもと泉先生の代表作であり、1980年代のジャンプを語る上で欠かせない作品です。
累計発行部数は2000万部を超え、週刊少年ジャンプのラブコメ作品としては当時異例のメガヒットとなりました。

物語は、超能力を持つ少年・春日恭介が転校先で出会った2人の少女。
ミステリアスな美少女・鮎川まどかと、明るく天真爛漫な檜山ひかるとの間で揺れ動く三角関係を描いたラブコメディ。
超能力というSF要素をラブコメに絡めた斬新な設定と、まつもと泉先生の持ち味であるポップで洗練された画風が読者を魅了しました。

特にヒロインの鮎川まどかは、クールで大人びた魅力を持つキャラクターとして絶大な人気を誇り、「ジャンプ史上最高のヒロインの一人」と評されることもあります。
サックスを吹くミステリアスな美少女でありながら、実は面倒見がよく優しい内面を持つ。
このギャップが多くの読者の心を掴みました。
当時のジャンプ読者にとって、まどかは「初恋の相手」のような特別な存在だったのです。

もう一人のヒロイン・檜山ひかるの明るく健気なキャラクター性も人気が高く、「まどか派」「ひかる派」に分かれた論争は、後のラブコメにおける「推しヒロイン論争」の先駆けともいえるでしょう。

TVアニメは1987年に放送され全48話と長期にわたる人気作に。
主要キャストには古谷徹さん(春日恭介役)、鶴ひろみさん(鮎川まどか役)、原えりこさん(檜山ひかる役)ら実力派声優が名を連ねました。
OVA全8作、劇場版3作品と、メディアミックスも非常に充実しています。

海外での人気も高く、フランスでは「Max et Compagnie」というタイトルで放送され、大きな人気を獲得しました。
台湾や香港でも翻訳版が発売され、アジア圏でも広く親しまれています。
1980年代の日本アニメが海外に広がっていく過程で、本作も重要な役割を果たしたといえるでしょう。
国境を越えて愛された作品であることも、まつもと泉先生の功績を語る上で見逃せないポイントです。

 

せさみ☆すとりーと(1988年〜)

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項目内容
連載誌スーパージャンプ
巻数3巻(未完)

『きまぐれオレンジ☆ロード』の連載終了後、青年誌・スーパージャンプに移って連載された作品です。
東京下町の八百屋を舞台にしたホームコメディで、先生の新たな一面を見せる意欲作でした。

オレンジロードで見せたポップなラブコメとは異なり、日常の温かみや人情を描いた作風で、先生の表現の幅広さを感じさせる作品でした。

しかし、体調不良の影響もあり、残念ながら未完のまま3巻で終了しています。
青年誌という新たなフィールドで挑戦を続けようとしていた矢先の中断であり、完結を見届けられなかったことは、先生自身にとっても大きな無念だったのではないでしょうか。

 

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その他の作品

『ミルク☆レポート』(1982年)

まつもと泉先生のデビュー作。
フレッシュジャンプ賞佳作を受賞した読み切り作品で、後のオレンジロードにつながるポップなタッチの片鱗がすでに見られます。

 

『BLACK MOON』(1993年)

大倉らいた氏の原作による作品。
先生の作品の中では珍しいダークなテイストを持った作品として、コアなファンの間で知られています。
オレンジロードのポップな世界観とは対照的な作風に、先生の表現者としての幅広さがうかがえます。

 

まつもと泉先生の公表されている作品数は決して多くありません。
これは前述の通り、長期にわたる体調不良と闘病が創作活動を大きく制限していたためです。
限られた作品の中で、『きまぐれオレンジ☆ロード』という圧倒的な代表作を生み出したことが、先生の才能の凄みを物語っています。

 

まつもと泉が漫画界に遺した影響

まつもと泉先生が漫画界に与えた最大の功績は、バトル漫画全盛の週刊少年ジャンプに、ポップで洗練されたラブコメディの居場所を作ったことです。

1980年代のジャンプは、『ドラゴンボール』『北斗の拳』『キャプテン翼』といった少年漫画の王道が並ぶ黄金期。
その中にあって『きまぐれオレンジ☆ロード』は、おしゃれで都会的な空気感をまとったラブコメとして独自のポジションを確立しました。

この成功が、後のジャンプにおけるラブコメ作品『電影少女』(桂正和)、『I”s』、そして2000年代以降の『To LOVEる -とらぶる-』『ニセコイ』といった作品が生まれる土壌を作ったといえます。
つまりまつもと泉先生は、ジャンプのラブコメの「開拓者」だったのです。

また、ヒロイン・鮎川まどかが確立した「クールで芯の強い美少女」というキャラクター像は、その後の漫画・アニメのヒロイン造形にも影響を与えたとされています。
ミステリアスで近寄りがたいけれど、実は優しさを秘めている。
こうしたヒロイン像の原型の一つが、鮎川まどかにあるといっても過言ではないでしょう。

さらに、漫画の中に音楽やファッションの要素を自然に取り入れたセンスも、まつもと泉先生ならではの特徴でした。
ロックドラマーを目指していた経験が、作品全体に漂うポップカルチャーの香りに反映されていたのかもしれません。

加えて、まつもと泉先生は脳脊髄液減少症の啓発者としても大きな功績を残しました。
自ら闘病体験をメディアで語り、この病気の存在を世に広く知らしめたことで、同じ症状に苦しみながらも診断にたどり着けずにいた患者が適切な治療を受けるきっかけとなりました。
漫画家としての影響力を社会貢献に活かした先生の姿勢は、クリエイターの社会的役割を考える上でも示唆に富んでいます。

 

まとめ

まつもと泉先生は、描きたくても描けないという、クリエイターにとって最も残酷な状況の中で人生の多くの時間を過ごされました。
3歳の事故に始まり、脳脊髄液減少症、心房細動、脊柱管狭窄症と、次々と襲いかかる病と闘い続けた生涯でした。

しかし、その限られた創作活動の中で生み出された『きまぐれオレンジ☆ロード』は、累計2000万部を超える大ヒットとなり、ジャンプのラブコメの歴史を切り拓きました。
鮎川まどかという不朽のヒロインは、今なお多くのファンの心の中に生き続けています。

また、自らの闘病経験をもとに脳脊髄液減少症の啓発者としても活動された先生の姿は、同じ病に苦しむ人々に勇気と希望を与えました。
漫画家としてだけでなく、一人の人間としても、まつもと泉先生が社会に遺した功績は計り知れません。

作品を通じて、そして闘病を通じて、まつもと泉先生が伝えてくれたものは、これからも色褪せることなく受け継がれていくでしょう。

「まつもと泉 現在」と検索される方の多くは、あの頃夢中になった作品と先生のことをふと思い出し、今どうされているのか気になった方だと思います。
先生はもういらっしゃいませんが、『きまぐれオレンジ☆ロード』の世界は今も色鮮やかに息づいています。
まだ読んだことのない方も、ぜひ一度手に取ってみてください。
80年代ジャンプが誇る最高のラブコメが、そこにあります。

 

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